2017年/ヤクルトスワローズファンの勝手なつぶやき
はい、こんばんは。
これは美容とは全く関係のない超個人的記事です。
少し長くなるので興味のない方は退出をお願い致しますm(_ _)m
2017年、日本野球もキャンプイン&WBCに向けて各選手が調整に入っています。
燕ファンとしては2017年こそはAクラスに返り咲いてもらいたい!!
いや、返り咲いてもらわなきゃ困る!!くらいの勢いだけはあります!!
その勢いを現実のものとすべく、2017年ヤクルトスワローズの注目選手を独断と偏見でピックアップ。
(実力のある選手はある程度省いてます。)
もう一度いいます。
野球(燕)に興味がない人はクソつまらないので覚悟しておいて下さいw
では進めていきます。
2015年 ドラフト2位
智辯学園卒
廣岡選手の自身初の1軍昇格の試合。あの元DeNAベイスターズの三浦大輔の引退試合で1軍初打席で初ホームランを打ったのは記憶に新しい!!山田哲人を彷彿させるバッティングフォームも特徴。
ポジションもショートと言うことで大引、谷内、西浦など熾烈なレギュラー争いになると思うが個人的には2017年は廣岡に期待しています!!
次はこちら
金沢西高校〜國學院大学
2012年 ドラフト6位指名
内野手
堅実な守備と走力が魅力。着々と実力をつけてきた矢先、去年の阪神戦で藤浪投手と対峙した際に左手首に死球を受けて骨折。
もう一度言います!
阪神の藤浪投手に左手首をヤラレました!!
いや〜、これからの選手を壊さないでくれ〜(切実)
このあと、シーズン終盤に復帰したがペースを作れずシーズン終了。2017年こそは谷内に期待したい!!
谷内も遊撃手なので上記に上げた廣岡とのポジション争いも見所。
続いてはこちらの選手
2016年 ドラフト2位指名
第47回明治神宮野球大会決勝では、佐々木千隼(2016年ロッテドラフト1位)擁する桜美林大学と戦い、先発の柳裕也(2016年中日ドラフト1位)が4回2失点で降板した後、5回から救援して5回2安打無失点の好救援を見せ、さらに8回にはソロ本塁打を放った。この本塁打は、星が「人生初」という本塁打だった。チームは勝利し、大会通算5年ぶり6度目の優勝に大きく貢献した!
去年の六大学野球選抜vsヤクルトスワローズ戦ではあの山田哲人から三振を奪い、2回1安打無失点で抑えた。真中監督には今日のMVPと言わせた実績を持つ。
2017年のヤクルト投手陣に厚みをもたらして欲しい!!
続いての選手はこちら
東海大学〜千葉ロッテマリーンズ〜東京ヤクルトスワローズ
2004年 ドラフト5位
ロッテ入団当初は、同期入団の竹原直隆と共に、「成長株」として期待された。当時の二軍監督で、後に二軍ヘッドコーチも務めた古賀英彦は、福岡ダイエーホークスの二軍監督自身に大松と同じ左打者の松中信彦を育て上げた経験から、大松に対して「松中になれる逸材」との賛辞を寄せた。
ロッテ時代の2006年に、一軍公式戦初本塁打を満塁で記録。2008年には、1シーズンに3本の満塁本塁打を放ったほか、満塁で迎えた打席での通算打率が.571にまで達した。2009年・2011年にも一軍公式戦で1本ずつ満塁本塁打を記録したことや、飛距離が非常に長い打球で一時本塁打を量産したことなどを背景に、ファンからは「満塁男」や「世界遺産」とも呼ばれている。
2016年、5月29日のイースタン・リーグ対楽天戦での走塁中に、右アキレス腱を断裂。ロッテを自由契約になり、2017年のヤクルト2軍キャンプに参加。入団テストに合格し晴れてヤクルトスワローズ入団。去年の坂口のようにヤクルト再生工場の名の下、復活を期待したい。
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2010年〜2015年 東京ヤクルトスワローズ
2015年、新加入のローガン・オンドルセクとの競争の末に、クローザーの座を維持すると、公式戦の開幕直後から23試合連続無失点を記録。オールスターゲームには、セントラル・リーグの監督推薦選手として、来日後2回目の出場を果たした。レギュラーシーズンでは、前述のオンドルセク、秋吉亮、オーランド・ロマン、久古健太郎が揃った救援陣の一角を担いながら、チーム14年振りのリーグ優勝に貢献。41セーブを挙げた末に、来日後2回目の最多セーブ投手になった。
バーネット帰ってきてくれ〜〜!!
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2007年 ドラフト1位
家庭は野球一家で、兄の佐藤史規は東北高校の控え捕手としてダルビッシュ有の球を受けていた。2007年の高校生ドラフトでは、中田翔(大阪桐蔭)、唐川侑己(成田)と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれた。
2010年には当時、日本球界最速となる161kmをマークしている。
度重なる怪我に泣き、一軍から育成選手に降格。
2016年7月5日に支配下登録を果たし、一軍復帰。同月24日の中日戦、1786日ぶりに勝利投手となる!
2017年はローテーションの一角を担ってもらいたい!!
個人的には一押しの投手!
続いてはこちら。
2009年 シンシナティ レッズ
2011年〜 東京ヤクルトスワローズ
今現在の日本プロ野球シーズン本塁打記録保持者(60本、2013年)。
マリナーズ時代はイチローのチームメイト。
今年は単年契約で最後の1年になるかもしれない(個人的見解)ので、2017年は全力でバレンティンを応援します!!
最後はこのレジェンド
1992年 ドラフト1位
1992年のバルセロナオリンピック野球日本代表に選出され、1大会27奪三振のギネス記録を作るなど、日本の銅メダル獲得に大きく貢献した。
1993年4月20日に先発で初登板し7回を10奪三振2失点で勝利投手となる。150km/hを超えるストレートと真横に滑るような高速スライダーを武器に投球回を上回る三振を奪い、前半戦だけで7勝2敗・防御率0.91の成績を挙げる。6月9日の石川県立野球場での対巨人戦では8回まで無失点、更にセ・リーグタイ記録である16奪三振をあげるが援護もなく0-0のまま迎えた9回裏2死、篠塚和典にソロ本塁打を打たれサヨナラ負けを喫する。この後、悔しさのあまり自軍ベンチに向かって自分のグラブを投げ感情を露にした。なお「負け試合における」1試合16奪三振はこのケースが初めてである。この試合の他93年は12試合の先発登板の内、味方打線が1点以下しか取れない試合が実に7試合と打線の援護に恵まれない事が多かった(この年、ヤクルト打線はチーム打率、得点数ともリーグ1位であり、貧打線ではなかった)。だが伊藤がルーズショルダー(非外傷性肩関節不安定症)である事は首脳陣には分かっていたため、コーチ陣は故障を危惧し登板回数・投球回を減らすよう促すが、野村はその助言を聞かずそれがシーズン中盤の故障に繋がった。この事に関し、野村は監督退任後に「積極的に登板させた事によって彼の選手生命を縮めてしまった。申し訳なく思っている。」とコメントしたが、伊藤自身は「当時の主戦投手は200球近く投げていた。僕も198球を投げたことがある。先発は白黒つくまで投げようという時代。野村克也監督を恨むことなんてないです。むしろチャンスをもらえた。気にもかけてくれた」と語っている。7月中旬にひじ痛のため戦線離脱。シーズン終了まで復帰することはなかったが、実働3ヶ月ながら巨人の松井秀喜を抑えて新人王を受賞。
現役ピークは僅かだったけど、あのスライダーは俺にとって伝説です!!今はヤクルトのピッチングコーチとして活躍。ヤクルト投手陣の復活に期待!!
さぁ!!WBCの後はペナントレース!!
2017年も野球観戦を楽しみましょう〜^_^
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